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CHIKYUKI
― 地球器 ―
地球のカタチの器
地球の恵みを盛りつけて戴く
器・映像・写真
3点でひとつの作品
自分の美意識や造形感覚や技能を磨き、
自分と外界との境界を明確にし、
自分の輪郭を際立たせる行為そのもの、
またはそれによってできたものが「表現」や「作品」である。
これまではそう捉えていました。
しかし今は、
自分の中から絞り出したり自然に溢れ出した美意識は
自分のモノではないような気がしています。
加えて、狭い意味での「自分主体で考え出したもの」にどれほどの意味があるのか懐疑的に捉えています。
『 無私・滅私 』
個人としての私はナニモノでもないが、
地球人としての私は、世界の中のあらゆるものと同じように、
結構素晴らしい存在である。
自分の輪郭を際立たせて独自性を表すよりも、
私と外側の境界が曖昧で、「私」が不確かな
『 無私・滅私 』の状態がここちよい。
そんな状態でモノをうみだすことに心を踊らせています。
その記録がこれらの〈映像〉と〈画像〉と〈もの〉
この3点が揃ってひとつの作品です。
作品集
CHIKYUKI
―地球器―
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